セルフラブってなあに?

s-250DSC_1336.jpgセルフラブ。
自分を愛する。
それって、どういうことだろう?
少し掘り下げてみたいと思います。



では逆に、
セルフラブできないときはどんなときだろう?
そう考えてみると、たとえば心の中で自分を批判しているときがそうです。


たとえば私(矢尾こと葉)なら、
起きたとき体調が優れないときや、
予定していた仕事や外出ができないまま夜を迎えたとき、
眠る時間が夜中の2時を過ぎたりしたとき。
そういうとき、自分を責めてしまう癖があることに気づきました。


半自動的に、自分自身に心の中で悪口を言ったり批判したりするのです。
それが内なる批判
(言葉はそれほどきつくなくても、
お前さんにはガッカリだよ…というニュアンスもこれに含みます)



具体的には、
・「〇〇が痛い…。〇日(〇時)にはお客様があるのに…」
・「しようと思っていたのに、仕事が全然できなかった。さぼちゃった…」
・「あ〜、また寝るのが遅くなっちゃった…」とか、こんな具合です。


これらの言葉は言葉の表面だけをとらえると、
自分への批判までは至っていないように思われるかもしれないのですが、
私の提唱する「be・do・have理論」でいうと、
私は、やること重視のdoたんタイプなので、
こんな風に基本的には「あれができてない、これができてない」とやれていないことを責めがちなのです。
これがdoたん的スタンダードな内なる批判のパターンというわけです。


しかしこの言葉を掘り下げると、言外には、
・決めたことを守れていない(doの批判)、
・自分を管理できていない(doの批判)、
・自分は情けない(beの批判)、
・自分はダメな奴だ(beの批判)、
・だからいつまでも〇〇が得られないんだよ!(haveの批判)、
そういう思いがあります。



つまりdo=行動の批判だけでなく、
be=あり方の批判、
have=入手していないことへの批判、もあるわけです。




あなたの内なる批判は、どのタイプですか?
結構ハードに自分傷めつけてしまうのは、
あり方=beの批判が多いbeたんタイプの人かもしれません。
beたんの批判は、直接的に人格批判になっちゃいますからね。
結構これはキツイものがあるかと。



セルフラブワークショップ

 


これを読んでくださっている人の中には、
こう思われる方もいらっしゃるかもしれません。


内なる批判?
そんなのフツウのことでしょ?
日常的にしているし…みんなしているよね?
っていうか、自分を責めるなんて当たり前のことじゃないの?



そう思う人もいると思います。私自身そうでした。



でも、自分への批判や悪口って、実際のところどうなのでしょう?
普段、他の人には悪口を言わないように気を付けているのに、
自分には言ってもいいのかな?
他の人には傷付けるような言葉を言わないように気遣っているのに、
自分には言ってもいいのだろうか?




内なる批判は、
口に出さないから、どんな暴言を吐いているのか、他の人にはすぐわかりません。
その分、言いたい放題かもしれません。
きちんとした身なりをしているおしとやかそうに見える人が、
内心では汚い言葉で自分をけなしまくっているかもしれません。
もしかしたら、口に出したとしたら聞くに堪えない、
虐待レベルのことを言ってしまっている場合もあるかもしれませんね。



批判や非難の言葉。
内なる罵倒。
自分が自分に言うならOK?
それに、私たちは傷つかないのでしょうか?



答えは、「いいえ」。



それを言う人が自分自身であっても、
それを言われた私自身は拗ねてしまうし、傷ついてしまうのです。
言われるたびに傷ついて、見えない涙を流しているのです。


もしこのところずっと心が晴れなかったり、
体調が悪かったりまわりとうまくいかなかったりするなら、
あなたの内なる批判は、
いつのまにかエスカレートしてしまっていないでしょうか?


そうやって自分自身を傷つけ続けて、何十年と経ち、今の自分があるとしたら。
見えないだけで、ボロボロのズタボロかもしれません。


何がズタボロになる可能性があるでしょう?


それは、自尊心(自尊感情)です。
自分を大切に思う心です。
自分を誇りに思う気持ちです。


サンドバッグのように、内なる批判の言葉で何十年も殴られ続けられたら…。
あなたの自尊心はどうですか?
心の袋がほころび、その破れ目から、
自分を大切に思う愛が、零れ落ちてしまっているのではないでしょうか。



内なるいじめっこを野放しにしないで、
内なる批判をストップしませんか?
あなたを批判・非難する言葉を、自分に言うのをやめるという選択ができます。
癖になってしまっているなら、新しい癖をつけていくのです。



セルフラブワークショップ

 


精神科医でマインドフルネス瞑想を教える僧侶の先生が、こうおっしゃっていました。
禅の世界の考え方に、「自慈心」というものがあると。
英語では「セルフ・コンパッション」と言うそうです。


自己肯定感は、英語で「セルフ・エステーム」と訳されます。
「セルフ・エステーム」は、まわりから承認されて培われるもの。


それに対して、「セルフ・コンパッション」は、自分自身が自分を慈しむ心です。
「おそらくこれが、あなた方の言うところのセルフラブでしょうね」
と僧侶の先生はおっしゃっていました。



何者でもなくても、
何をしていなくても、
何を得ていなくても、
ありのままの私で十分だという思い。



「I’m OK!」でいこう〜♪♪♪



どんな方法でもよいのです。
瞑想でもヒーリングでもメンタルワークでも、それ以外の無数の方法でも。
方法は何でもよくて、

精神を健康にし、人に左右されることなく、その人らしい生き方をするために、

自分自身を慈しむこと(セルフラブ)が必要です。



自分を大切に思えなければ、
自分を大切に扱ってもらえないという現象を体験します。
自分が思っていることを、
そうだよねそうだよねと証明するように、
私たちは現実を作り出しているから。



私が私を「大切で重要で愛されるにふさわしい」と思うなら、
まわりの人は私をそのように扱うものなのです。
起こる出来事も、私の思いに倣います。



え、でも自分をいいよって認めたら、成長できないんじゃないの?
もっとすばらしい人になれなくなってしまうんじゃないの?
ダメだダメだって謙虚に思うから、
もっといい人になれるんじゃないの?
向上心の高い人は、もしかするとそのように思われるかもしれません。



でもそこには誤解が潜んでいます。
私自身を「もっとできるよ! 私!」と励まして応援するのと、
「こんなこともできないなんて、私、サイテー!」と叱咤するのが、
同じことだと思ってしまっているかもしれません。



でも、これらは、違うことです。
やっていることが違うし、結果が異なってきます。



たとえば親が「こんなこともできないなんて、サイテー!」といった具合に、
子どもを責めて成長させようと促した場合、
子ども自身が大きくなったときに、
自分も自分にそのように接するのが愛情であり正しいアクションだと思い込む場合があります。
あるいは親自身が、自分自身に「こんなこともできないなんて、私、サイテー!」という態度で
生きているのを子どもが見てきた場合も同じです。
子どもは、勘違いをしてしまうことがあるから。
親がすることをすべて、愛の表現だと思い込み、それが正しいと思って、その方法に倣うことがあるのです。



ただ、それすらも癖にすぎません。癖は変えていけます。意図的に扱えば!






私が私を慈しみ、愛するのは自然なことです。
それは自然の理にかなっています。



その証拠はこうです。
こんな自分なんて愛せない、愛するに値しない。
そう思うと心や体が苦しくなるでしょう。
苦しい状況が生まれてくるでしょう。
それは自然でないからです。



自然であると心地よくなり、
物事も心地よく運んでいくのです。


自分を慈しみ、愛するのが自然なことならば、
そしてそれが自分にとって心地よくすばらしいことならば、
今がどうあれ、
だんだんと自然な在り方に近づけていけばいいのではないでしょうか。


それに近づくための第一歩。
自分にかけている内なる批判の言葉をストップする。
まず意識的に気づくところから始めましょう。


具体的には、
どんな悪口や批判があるかを、書きだしてみるのがよさそうです。
文字として客観的に見ることで、
つらくて泣きたくなるかもしれませんし、
ヒドイなこりゃ〜なんて笑っちゃうかもしれません。
いずれにしろ、知ることからすばらしい流れが始まります!!

 

もっと宇宙の豊かさを受け取りたい人は、セルフラブワークショップへ!!

 

 

セルフラブワークショップ